イノベーションが生まれる都市空間とは

濱口 秀司 氏 イノベーションが生まれる都市・オフィス空間の設計 第2回

シリコンバレーはイノベーティブな街か?

イノベーティブな街というとシリコンバレーを思い浮かべる人が多いと思いますが、実際はそんなことはありません。もちろん刺激はたくさんありますが、そこにイノベーションが生まれる仕組みがあるかというと、僕はないと思います。

前回、最も重要なことはバイアス・ブレイキングだと言いましたが、僕が一番恐れているのは、自分がそのバイアスにまみれることです。昔アメリカで取材を受けた時に「なぜシリコンバレーに来ないのか」と聞かれたことがあります。その時はバイアスという言葉は使っていませんでしたが、「ノイズが嫌いです」と言いました。実際に僕はシリコンバレーに住んでいたことがありますし、ネットワークを持っていますが、あそこに居て怖いのは、バイアスを受けることです。

シリコンバレーのコミュニケーションは対話型で、人と会わないといけません。ITは人と人が離れている状態で情報をやりとりする技術なのに、それを仕掛けている張本人たちが肩寄せ合って集まっているのはおかしいですよね。

なぜ彼らは集まっているか。それは投資の難しさゆえです。投資というのはすごくリスキーで、賢いベンチャーキャピタリストはシステマチックにパターン認識して、その組み合わせでいけるかいけないかを判断していますが、それだけではどうしても判断できないことがあります。それが生の情報です。文章のやりとりだけではわからない、直接会って話すことで感じる直観や、相手の体温の高さみたいなものがすごく重要で、それを手に入れようと思うと、やはり会わなければなりません。だから彼らはすごくウェットで、喫茶店やレストランなどで朝から会食をしているわけです。

シリコンバレーで仕事をし始めると、表層的に歩き回るだけでも、流行っているものがどんどん入ってきます。ほとんどの人は、その情報や考え方に染まってしまいます。そこからさらに深く入っていき、投資家などのネットワークに入ると、ひざを突き合わせていろいろな話をしてきます。面白い話ばかりなので、よほどの覚悟をしておかないとすごくバイアスを受けるんです。バイアスをうけると、何か新しいことをやろうと思っても、いつの間にか「シリコンバレーで流行りそうなもの」を考えるようになってしまう。それではイノベーティブなものは生まれないので、シリコンバレーから離れておこうと決めたのです。

シリコンバレーには、さまざまな誤解があります。例えば、シリコンバレーに出かけてグーグルなどのオフィスを見学してクールだなんて言いますが、あのオフィスには、すごいことを成し遂げたファウンダーたちが夢見るユートピアが表れているだけで、あそこで何かが生まれたわけではありません。むしろ、彼らはガレージから始めたりしているわけですから。勘違いしてはいけません。

また、シリコンバレーに行けば、アイデアさえあればすごいことができて、億万長者になれるという思い込みもありますがそれも勘違いです。シリコンバレーでベンチャーが1億円の投資をしてもらおうと思ったら、よほど鋭いプレゼンができて、それなりの実績も必要です。2〜3億円になるとかなり厳しい。10億円規模になったら、成功がある程度見えていなければ無理です。逆に、大企業で働いていたら、新規事業に1億円を投資してもらうのは大した金額ではないでしょう。10億円だって、社長を説得できれば、それほど難しい話ではない。大きなことをしたいと考えるのなら、シリコンバレーに行くよりも大企業の方がやりやすいはずなんです。

ポートランドを拠点に選んだ理由

最初にコンセプトを考える時は、集団から外れることを推奨します。さらに言えば、集団を観察できるポジションに行くことです。シリコンバレーにもよいところがありますが、あの渦に入ったら毎日肌感覚で影響を受けるので、一旦離れて、シリコンバレーではあんなことをやっているね、という感じで離れて見ることが重要です。

イノベーティブなことを考えようと思ったら、情報濃度が少し薄いところに行った方がいい。かといって、砂漠の真ん中で毎日サソリと闘っていてもだめで、ある程度の文明が必要。そこで、僕はポートランドを拠点に選びました。シアトルやロサンゼルスほど大きくなくて、いろいろなものがミックスしていて文化的で、割とニュートラルな街で、情報としてはそんなに混んでいません。

シリコンバレーに行ったら、何かいいアイデアが得られるのではないかと思っている人が多いようですが、それは違います。一番いいのは、シリコンバレーから離れて考えて、思いついたら立ち上げる。昨今は、遠隔でなんでもある程度のことはできます。そして、急成長したくなったらシリコンバレーに行くのです。なぜなら、シリコンバレーにはポートランドにはない、いいものがたくさんあるから。それは、人材と仕組みです。シリコンバレーにはいろいろな人が集まってくるので、人材の宝庫です。サービスも多岐にわたっていて、例えば弁護士一つとっても、ポートランドではビジネス系の弁護士はなんでもマルチにやりますが、シリコンバレーでは、ベンチャーの特許関係の専門やIPOの専門など山ほどサービスがあって、ビジネスを大きくするには最高の場所です。そして急成長させるための仕組みと知恵があります。

実際、そのような立ち上げ方をしたケースはたくさんあります。例えば、企業向けソーシャルツールで知られるジャイブ・ソフトウェアという会社は、ポートランドでスタートして、会社として出来上がってからセコイアにファンドされてシリコンバレーに移りました。日本でいえば、 サイボウズを創業した高須賀(宣氏)も、松山で創業して大阪に行って、それから東京に来ています。イノベーティブなことをやろうと思えば思うほど、よほどのテクニックがない限り、影響を受けやすい都会からは離れた場所でスタートした方がいいと思います。

イノベーティブなことを行うには、情報を集めなければいけないと思いがちですが、それは逆です。都会で行う場合には、バイアスを避けるために極力情報を遮断することが重要になります。

新しいアイデアを生みやすい場所とは

どんなにクリエイティブな都市でも、そこにずっと住んでいてはだめ。同じところで同じ景色を見ていると、考え方がその場所に染まってしまうからです。それを壊すには、やはり刺激が必要なので、場所は変えた方がいいでしょう。アイデアを生むためのテクニックとして、場所をダイナミックに変えるというのは結構有効だと思います。1カ所の都市に留まっていると心地良くなってしまうので。シリコンバレーも、住めばみんなと仲良くなるし、知り合いもできるし、何か気持ちよくなってくる。その時点でだめですね。

松下電工(現パナソニック電工)で新事業担当になった時、新事業企画室は本社にあったのですが、本社社屋ではだめだと思い、大阪の門真の敷地内の一番端にあった研究所に移しました。それでもだめで、次に、新事業を起こす時には、全員アメリカの研究所に出張に来させるようにしました。5日間研究所に“缶詰”になり、一緒にプロセスを回してコンセプトを作ります。アメリカに出張したからには何かしらの答えを持って帰らなければいけないので、徹夜をして、帰りの飛行機の中で資料をまとめるなど、必死になります。この経験から、普段いる場所から思いきり遠くに引き離すといいことがわかりました。

ちなみに、パナソニックが東京に出て行かず、門真という辺境の地に留まったことは、イノベーションを生み出す上で影響があったのではないかと思います。ただ、門真に本社を構えたのは、そういう目的ではなく、門真は大阪の北東に位置するため「鬼門」といわれて土地が安かったからです。

僕がmonogotoをポートランドに構えているのも、アメリカ中のクライアントが、ちょっと遠い街であるポートランドまで出張に来ることを重視しているからです。本当は、場所なんて変わらなくても新しいアイデアは考えられると左脳では思っているのですが、結果として影響を受けるという体感があります。だから、シリコンバレーには住みません。これだけテクニックで武装している僕でも怖いんです。武装していない人であればなおさら。ですから、場所が重要なのです。

実は、パームスプリングにもスタジオを持っています。ポートランドでもミーティングはできますが、オフィスが少し狭い。また、昼食を食べに外出すると街が結構素敵で、レストランもたくさんあるので集中が途切れてしまうんです。そこで、逃げ場のない場所を探しました。候補が3つあり、砂漠の真ん中、コロラドの雪山で外出したら凍死するような場所、それから目の前が崖で下は海という場所です。そのうち、とりあえず試しに買ったのが砂漠の真ん中にあるパームスプリングです。ロサンゼルス郊外にある超お金持ちが住んでいる街ですが、そこの美術館のような建物を買いました。1.5エーカーの広さがあって、日本のマンションが80平米くらいとすると、95室分に相当します。砂漠の真ん中にあるので、逃げようがないんです。20〜30人が集まって、集中的にミーティングをしなければいけない時に利用しています。

イノベーティブな都市は設計できるか?

イノベーティブな都市を意図的に設計することは不可能だと思います。シリコンバレーができたのも偶発的ですから。計画的な都市開発というのは、なかなか難しいものです。ポートランドは今クールな街と言われていますが、うまくいったのは半分偶然です。2000年代初めに都市開発が行われて、僕も開発委員の一員でした。ポートランドで最もクールだと言われているエリアがパール・ディストリクト(真珠地区)ですが、1990年代は、「どこが真珠なんだ」と思うくらい、倉庫街と修理工場とビール工場しかなく、夜クルマを止めていると窓ガラスをたたき割られるようなエリアでした。

再開発では、ライトレールを通して無料で乗れるようにし、古い倉庫街を改装した建物と新築の建物をミックスすることにしました。そこで、街の雰囲気をつくるために、ビルの1階はリテール(店舗)、2階以上の中階層はオフィスや住居、最上階は住居にするというビルディングコードを決めました。リテールと住居をミックスすることで、夜はゴーストタウンになることを避けることができるという単純な発想からです。

そのエリアに最初に建った10階建て程度のマンションのペントハウスの値段が1億円でした。当時、オレゴン州の平均年収からしたら、誰が買うんだ、というくらいの高い値段です。それでも、その後も倉庫を改装して次々とビルが建っていきました。普通に考えれば、現地住民の年収ではとても払えません。そこに偶然起きたのが、シリコンバレーで成功したお金持ちたちがやってきたことでした。

シリコンバレーのお金持ちの中には、人種ミックスが嫌いな白人がたくさんいます。シリコンバレーでは、通りを一本はさんだ区画ごとに、インド系や韓国系やヒスパニック系の人たちが固まって暮らしています。通りを一本はさんだだけで雰囲気がガラッと変わるような人種ミックスがシリコンバレーの特徴ですが、それを嫌う白人がいて、違うところに移ろうと思うわけです。かといって東海岸に行くのは嫌だし、北のシアトルも南のロサンゼルスも大きすぎる。そこで見つけたのがポートランドです。ちょっと小さな街で、アウトドアが盛んで、海には1時間半で行けるし、万年雪の山もある。見てみると結構いい街だと思うわけです。シリコンバレーの家を売れば、5〜10億円になります。ポートランドで2億円のマンションを買ってもお金は余りますから、皆喜んで移ってくるわけです。

ポートランドにはDIY(Do It Yourself)カルチャーがあって、日本人みたいにちょっと凝り性なところがあります。全米の地ビールの30%がポートランド周辺で作られているほどです。レストランも皆凝り性で、シリコンバレーの金持ちが毎日お金を払ってくれるため、しのぎを削ってどんどんレベルが上がっていきました。こんなことは、誰にも計画できません。元々のカルチャーがあって、都市開発のベースがあって、そこに偶然が重なった。決して計画的にクールな街になったわけではないのです。

濱口 秀司 氏 ビジネスデザイナー monogoto代表 松下電工(現パナソニック)にてR&Dおよび研究企画に従事し、全社戦略投資案件の意思決定分析を担当。1998年から米国のデザインコンサルティング会社、Zibaに参画。現在はZibaのエグゼクティブフェローを務めながら自身の実験会社「monogoto」を米国ポートランドに立ち上げ、ビジネスデザイン分野にフォーカスした活動を行っている。

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