現代社会における「食」の意味

松嶋 啓介 氏 現代人に求められている「食」の力とは 第3回

AIは料理を創造できるか?

2017年7月から、予防医学博士の石川善樹さんと、AIが創造した料理の食事会を定期的に開催しています。きっかけは、IBMの「シェフ・ワトソン」(レシピを考案するAI)が登場した時に、料理をなめんじゃねえと思って(笑)。それで、ワトソンが考案した料理をいろいろチェックしてみたところ、全てにおいて一つのデータが抜けていました。それは「うま味」です。人間の味覚は、古くから甘味・塩味・酸味・苦味の4つの基本的な味が知られていましたが、20世紀はじめに、日本人によって5つ目の基本味としてうま味が発見されました。「うま味が入っていない料理を食べても、人はおいしいと思わないし、ホッとしないよ」という話を石川さんとしたところから、このプロジェクトが始まりました。

初回は、AIが考えたレシピを基にすき焼きを作ったんですが、まずくてしょうがなかった(笑)。理屈はわかるけど、その料理には何の愛情表現もないからです。この食事会は「AIなのか愛なのか?」というテーマでやっていますが、最後は愛が勝つんです。なぜなら、人間は、生まれてきた気候風土の中で生きていくための手段として、その土地で採れる食材を使って、試行錯誤をしながら料理を生み出してきました。先人たちが、命がけで食べられるか食べられないかの判断をしてきたからこそ、土着の料理があるわけです。だから、土着の料理にはたくさんの愛が詰まっているんです。しかし、データの組み合わせだけでできたAIのレシピには、土着という愛情が欠けている。だから、AIのレシピと土着の料理の間には圧倒的な差があります。

それでも、回を重ねるごとにAIはどんどん進化してきて、当初は欠けていた、うま味を採り入れた料理も考案できるようになってきました。人間は制限がある方が工夫します。だから、東京のように食材が何でも揃うところで料理を考えるのは難しいんです。その点、AIには、そういうカオスの中から、人間が思いつかないような新しい組み合わせを生み出す面白さがあります。ただ、食材や調味料を何グラム、何ccで、どのくらいの時間でとか、そういった細かい調整はAIにはできません。その調整は人間がやるべきでしょう。

AIが生み出す新しい料理は面白いですが、AIには人間の感情はわかりませんから、AIから生まれる料理に情緒は感じられません。また、土地に対する帰属意識も生まれません。例えば、正月やお盆などに家族や親戚が集まっておばあちゃんの料理を食べたり、地元のお祭りで必ず食べ物がまつられたりするのは、帰属意識があるからです。そこには、「その食べ物を食べる習慣を忘れてはいけませんよ」「原点を忘れないようにしましょうね」という意味がこめられています。みんなで同じものを食べることが、帰属意識や連帯感を育みます。多様性の時代と言われますが、みんなが好き勝手なものを食べていては、帰属意識は生まれようがありません。

AIからは、新しい発想のヒントは得られます。しかし、それを使うかどうかは人間の器量だと思います。

禅と食の関係

欧米で注目されている日本の伝統文化の一つに坐禅があります。坐禅を組むと、頭の中が空っぽになり、ホッとします。どこがホッとするかというと、腸なんです。僕も5〜6年前から坐禅を組みに行くようになりましたが、最初はなかなか無になれず、自分は雑念が多いんだなと感じました。それでも、あのスティーブ・ジョブズもやっていたんだからと思い頑張って続けました。

禅とは、漢字の通り「“単”純に“示”す」ということだそうです。お釈迦様は1週間、坐禅を組んだ後に悟りを開いたそうです。つまり、空っぽになった時に、下りてくるものがあるということです。同じことを、まずは実践してみることが大事だそうです。石庭も、引いて眺めると一つのまとまりに見えて、寄っていくと細かいディテールが見えてくる。これも「単純に示す」ことだと聞きました。ジョブズは多分、この庭を見てiPhoneを作ったのではないか。iPhoneは電源が入っていない時は単純なただの四角い板ですが、ひとたび電源を入れれば、宇宙が広がります。いいことを学べたなと思いました。それからも、折に触れて坐禅を組みに出かけています。

今、腸と脳の繋がりについて勉強しているんですが、腸に意識を持っていった瞬間に、脳は空っぽになるそうです。そのような状態になることを助けるのが、精進料理です。精進料理を食べると、煩悩が出にくくなります。なぜなら、精進料理では肉を食べません。動物性タンパク質は、血液をはじめ体内のいろいろな部分を興奮させるからです。また、ニンニクやタマネギなどの五辛(ごしん)も煩悩を刺激するため、使われません。逆に、精進料理に用いられている昆布や椎茸といった保存食を食べると、腸が活発になります。こうした精進料理を普段から食べているお坊さんは、坐禅を組むと、すぐに脳を空っぽにすることができます。

よく「腑に落ちる」「腹落ちする」などと言いますが、江戸時代までは、日本人は腹、要するに腸で物事を考えていました。脳で考えるようになったのは、西洋の文化が入ってきてからです。それ以降、お腹ではなく頭で考えるようになりました。脳腫瘍や脳梗塞など、脳の病気が増えたのは、それからだと思います。昔はどちらかとうと、臓器の病気が多かった。今も臓器の病気が多いのは、ほぼ食べ物が原因です。今、ストレスを抱えている人が多いのは、脳が疲れるようなことばかりしていることに加えて、脳が活発化するような食事をしているからです。現代人には、腸を働かせて脳を休ませることのできる、食べてホッとする食事が必要なのです。

オフィスにおける食の大切さ

人間関係は、全て食べることから始まります。彼女と付き合う時や、ビジネスで新たに取引を始める時など、まずは一緒に食事をしに行きますよね。日本では、ご縁を結んだ時には一緒に食事をする慣習があるからです。日本橋の辺りに小料理屋さんがたくさんあるのもそのためです。このように、人間関係の原点は食にあるにもかかわらず、食べることを疎かにする社会は間違っています。

どこでも自由に働けるような時代だからこそ、一緒に食事をすることの大切さが増していると思います。オフィス環境に関して言えば、カギを握るのは社員食堂の魅力を高めることです。例えば、旬の食材が味わえる社員食堂があって、「今週は竹の子が旬で安かったから、1週間竹の子ご飯を食べられます」というメッセージを社員に送れば、会社に行きたくなる人は増えるはずです。食材が余って困っている地域と連携することも考えられます。

以前、ある企業に、47都道府県それぞれの地元の有名な食堂の料理人に一定期間出張してもらい、各地の地元の味を食べられるような社員食堂を提案したことがあります。言わば、“料理人の参勤交代”です。そうすれば、社員は地域の食材に触れ、食文化を学ぶことができて地方創生にもつながります。

地方出身の人たちも、東京で故郷の食材に触れることで「郷土の料理ってこんな価値があったんだ」と地元を再認識することができます。例えば、秋田出身の人で今日の社食はきりたんぽが食べられるとなったら、「会社に来なくていい」と言われても社食食べたさに会社に来るかもしれません。

常盤橋は、かつて参勤交代で日本中の各大名が地方から江戸城へ訪れる際の重要な場所だっただけに、“料理人の参勤交代”はピッタリの企画ではないでしょうか。

Editors’ INSIGHT

「食」とは、現代人にとって生命維持だけではない別の価値を持つ。料理の中で文化や自然、季節の移ろいを感じて心が満たされ、食事を共にすることによって人間関係が深まり、帰属意識や連帯感が生まれる。 フランスでの生活で、日本文化の魅力を実感している松嶋さんからお話を伺うことで、より豊かに、充実した毎日を生きるヒントが日本の食文化の中にあることを実感しました。ビジネスパーソン、観光客双方にとって心地よい空間にするための「食」のあり方を深耕していきたいと思います。

松嶋 啓介 氏 KEISUKE MATSUSHIMAオーナーシェフ 実業家 20歳で渡仏、各地で修行を重ねた後、25歳でニースにレストランをオープン。現在はニースと東京・原宿に「KEISUKE MATSUSHIMA」を構えるほか、ニースでは数店舗を手がける。2010年、フランス政府よりシェフとして初かつ最年少で「芸術文化勲章」を授与される。

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