今まで捨てられてきた「ノイズ」の大切さ

ドミニク・チェン 氏 21世紀の都市開発に求められるものとは 第3回

「ウェルビーイング」の視点で考える

最近パリに行って、すごく面白いと思ったことがあります。東京にいると、電車の中でみんながスマホで何かやっているわけですが、パリは治安が悪く盗難の恐れもあるので、みんなスマホを出さないようにするんです。そうすると、みんなが現実空間に視線を漂わせていて、知らない人同士で会話が発生したりする。時々面倒くさいこともありますけど(笑)、これは悪くないなと思いました。

私が今、専門で取り組んでいることは、情報技術と人間の心理をどうすれば組み合わせられるか、ということです。アメリカでは「ウェルビーイング」という考え方があって、今、議論の的になっています。ウェルビーイングとは簡単にいえば「良い心の状態」という意味ですが、そこで「幸せ」という言葉を使ってしまうとあまりにも広漠としてしまうので、自分の潜在能力をいかに発揮して生きていけるかをウェルビーイングの指標にしようという動きになっています。さまざまな考えがある中で、私が今取り組んでいるのは、日本という文脈の中で一番重要な概念は何だろう、ということです。そのために、科学系と人文系の両面から研究を進めています。

突き詰めて考えていくと、現代の日本は東洋と西洋のハイブリッドだということが分かってきました。世の中ではいつも「日本すごい論」と「日本残念論」が同時発生していて、両方とも盛り上がっていますが、どちらもウソだと思うんです。現実はその中間にあって、日本は西洋からの影響をものすごく受けているし、同時に中国や朝鮮半島、そして東南アジアの国々からの影響もすごく受けている。そう考えると、純日本的という概念は存在しないという思いがどんどん強まっています。風土論を開拓した京都の哲学者である和辻哲郎も、『古寺巡礼』という本のなかで、日本における仏教美術の起源を追っていて、朝鮮、中国、インドを通り越して、さらに西域のペルシャ、ギリシャまで遡っている。でも、それこそが日本のオリジナリティであり、宗教、文化、技術、何でも貪欲に取り込んで、それを日本流に組み替えることができるということは、日本は「世界一のカスタマイズ国」だと考えているんです

そのことを念頭に置いて、技術開発から都市開発まで、新しいものづくりを考えていくとどうなるでしょうか。例えば情報技術の世界は、今まではコミュニケーションにおいては通信経路においていかにノイズを低く抑えて効率性を向上させるか、という非常にわかりやすいストーリーでやってきました。ところが、それが今レッドオーシャン化していて、ムーアの法則もそろそろ物理的な限界を迎えている中、次は量子コンピュータしかないだろうというところにきています。そして今、情報技術が世界中に浸透した結果、人々の心理状態にかなりの悪影響を及ぼしているという事実が、統計データとしても明らかになっています。テクノロジーとの向き合い方を、社会全体で見直すべき時期に入ってきているのです。

例えば、最近はVRの技術が普及し始めて、「VR元年」とここ3年くらい毎年言われていますが(笑)、人間の身体というのは生物学的な基盤に立っているので、そんなに早く進化できないわけです。意識はどんどん変わるけれど、身体はそんなに早く進化しないということへの冷静な振り返りが、さまざまな局面で起こっているのです。

「つまらなさ」が無限の面白さを生む

そこで今、注目されているのが「ノイズ」です。これまで捨象されてきたノイズに、実は今まで見落としてきた価値が眠っているのではないか。これは、20世紀中盤からずっと言われてきた議論ですが、冗長なこととか、退屈なこと、つまらなさといったものが実は無限の面白さを生む、そんな議論を最近はしています。

私は今、能楽師の安田登先生に能楽の謡(うたい)を習っているんですが、先生によれば、能というのはつまらないようにできていて、歌舞伎というのは面白いようにできているそうです。どちらが良い悪いということではありません。歌舞伎はエンターテインメントとして発達してきました。それに対して能は、「面白くしてはいけない」と教えられるそうです。例えば、歌舞伎では派手に見得を切りますが、能ではそれをやってはいけない。なぜかというと、それは見ている客が解釈して、頭の中で生成するものだからです。つまり、「今悲しんでいる」とか「今怒っている」といったことをお膳立てしてしまうのは、客に失礼だと考えるわけです。

このことは、ウェルビーイングの一つの条件でもある、情報との自律的な向き合いということを、象徴的に表している事例だと思います。砂で水紋を表現した枯山水もそうですね。中国式の庭というのは、「この滝、すごいでしょう」「この岩もすごいでしょう」と表現していて、ラスベガス的だと感じます(笑)。それに対して枯山水は、見る人が自由にイメージを投影する余地が残されている。それはある種、見る人をリスペクトしている、バカにしていないということです。

能が「つまらない」のは、ユーザーに「どうぞつくってください」という文化だから。だから、万人がそれに一度に熱中するようなことは起こりません。その代わり、能というのは650年以上、一度も断絶したことがないんですね。たとえば能を演じるスピードは、昔はラップみたいに速かったそうですが、江戸時代中期には2倍遅くなったそうです。そんな劇的な変化を受け容れつつ、時代に合わせて見物客がつくり出す世界を追求してきたのです。

街づくりにも「ノイズ」を活かす

この考えを現代の情報技術に当てはめると、今、「スマホ中毒」が社会問題化しているわけですが、「つまらないスマホ」をつくらなければいけないかもしれません。実際、アップルがそういうことを今年になって言い始めていて、最新のiOS12には、自分がいかにスマホ中毒になっているかを可視化する機能「スクリーンタイム」が入っています。「スマホを使いすぎないで」ということを、スマホメーカーが言い始めているわけです。グーグルも、今年の開発者向けカンファレンスで「デジタルウェルビーイング」というテーマを掲げました。このように、ユーザーが自分でつくり出す心の余地というものが、情報産業の世界でも重視され始めているのです。

これはすごく面白いことで、新しいデザイン、新しい建築、新しい都市設計の考え方を生み出すチャンスでもある。僕自身も、新しい情報テクノロジーのつくり方において、チャレンジが始まっていると思っています。デベロッパーの皆さんも、ビルや街をつくる際に、「ノイズ」として今までそぎ落とされてきた部分を棚卸しして、逆にそれを積極的に取り込んでみる発想が大切かもしれません。

私は今、「ぬか床をサイエンスする」というプロジェクトで、おいしいぬか床を作る条件を調べています。ぬか床には実にいろいろな菌がいて、何をしているかよくわからない菌がたくさんいるんです。驚きだったのは、普通は悪臭の元になると言われているような菌が、ちゃんと定着しなければ、本当にいいぬか床にはならないということ。街づくりも、画一的な、クリーンな構成要素だけでやると、どこも一緒でありきたりなものになってしまう。まさに「ノイズ」をどうやって活かすかが、面白い街づくりのカギになると思います。

Editors’ INSIGHT

今回のインタビューでは、街の魅力の本質的なところをお伺いすることが出来ました。
街の構成要素が幾つかある中で、歴史や土地性など不変・普遍な部分と、変わりゆく部分の比率をどう考えるか。
点ではなく面で捉えることで、街全体で楽しむことや、個々人が想像して楽しめる余白をどう設計するか。
常盤橋では、点としての魅力だけでなく、東京という街全体としての面の観点で検討をより深めていきたいと思います。

ドミニク・チェン 氏 早稲田大学文化構想学部准教授 学際情報学博士。NTT InterCommunication Center(ICC)研究員を経て、NPOコモンスフィア(クリエイティブ・コモン・ジャパン)理事、株式会社ディヴィデュアル共同創業者。2017年より早稲田大学文化構想学部准教授。フランス国籍。

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